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小学校の子ども達のことや、学校の様子を振り返って & おすすめの本、趣味の話など…まあ、適当に。 (2022.6.14ここに引っ越してきました)
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算数で東京書籍の教科書を使ってる場合、1年生と2年生は大体今頃「どんな計算になるか図を使って考える」という単元をやってます。

これ、この前出た新指導要領で新たに加えられた「算数的活動」って奴にあてはまりそうですね。
〔算数的活動〕
(1) 内容の「A数と計算」,「B量と測定」,「C図形」及び「D数量関係」に示す事項については,例えば,次のような算数的活動を通して指導するものとする。

第1学年 イ 計算の意味や計算の仕方を,具体物を用いたり,言葉,数,式,図を用いたりして表す活動

第2学年 オ 加法と減法の相互関係を図や式に表し,説明する活動

だからさー、わざわざ指導要領を新しくしなくても、算数ってそういうもんなんだよ。

じゃ、なぜわざわざ「算数的活動」なんて入れるようになったか?というのを考えてみました。それが、今回のタイトル。

「算数は、国語じゃないんだよっ!」

【その1】

1年生のたし算やひき算の指導で、こういうの見たことありません?
《赤い花が3本あります。黄色い花が4本あります。花は全部で何本ありますか。》
「全部で何本ありますか、と聞かれたら、たし算かな?ひき算かな?
 そうですね、『ぜんぶで』だから、たし算ですね。
 たし算の言葉の木にもありましたね〜」
壁を見ると、「たし算の木」「ひき算の木」が貼ってあって、たし算の木には「ぜんぶで」「あわせて」「みんなで」とか書いてある。ひき算の木には「のこりは」「あまりは」「ちがいは」とか書いてある。

国語じゃねーっつーの。(-"-;)

そんなことやってるから、《みかんをかごに3個入れたらぜんぶで7個になりました。みかんははじめいくつあったでしょう》って問題に
「3+7=10」と立式するような子どもができるんだよっ。

計算ってのは「見方」が変わるんですよね。
その変わり具合によって、たし算かひき算かに分かれる。
もう少し突き詰めて言うと、「たし」「ひき」と計算のように言っていますが、1年生で学習する「たし算」「ひき算」は、「計算」だけではなくて、「状況のパターンを区別する言葉」なんです。

その「状況」というのは

【A】◎◎◎◎ ●●● この2つを、1つの ○○○○○○○ と見る。
そして、○○○○○○○の数を答える。→たす状況

【B】○○○○○○○ このかたまりを ◎◎◎◎ と ●●● が合わさったものと見る。
そして、◎◎◎◎ か ●●● のどちらかの数を答える。→ひく状況

この、「どこからどこまでをひとかたまりとして見るか」「どこからどこまでを数えるか」を、問題文に書かれている言葉だけでどうこうできたら算数じゃないですよ。

みかんを3個かごに入れたイメージ、3個入れたはずなのにかごに7個入っているイメージ、そこから、かごの中の7個を「今入れた3個」と「そうでないもの」に分けなければならないという意識、入れた3個を外してみよう、またかごから出してみようと考える力、そういうのが組み合わさって「7−3」が立式できるわけです。

でも、「たし算」「ひき算」という言葉で一括りにされたがために、X+Y や X−Y が早く正しくできることが「たし算ひき算ができること」と思われてしまうようになったみたいです。

私は、小学校2年生の時に2=8というのをなぜか知っていましたが、それを答えられたからと言って、「2の3乗が分かっている」とは言えないですよね。実際意味はよく分かってなかったですし。

たし算の計算を次々にこなしている時、3+4に7と書きながら頭の中で
●●●←◎◎◎◎ とイメージが動いていなければ、たし算ができるようになったとは言えないということです。(別に一列に並んでなくてもいいんですけどね)

で、本来たし算ひき算を習得するということはそういうイメージが頭の中にできあがることですから、1学期2学期と練習する中でそれが定着しているはずで、今回の単元はそれを頭から引っ張り出すだけなんです。頭の中のイメージを目に見えるように図に表してやるだけで、ちょっとこみいったのでも軽々と解けるはずなんです。

それをですねー、「ぜんぶではたしざん」とか「ちがいはひきざん」とか、イメージもへったくれもない、言葉をつまみ出すだけの小手先の技術で解かせようとしてるから、(おまけにひき算はさくらんぼ計算でたし算とごちゃ混ぜにしてるから)今頃になって子ども達は(特に低位の子ほど)頭が混乱してしまう。

言葉は、イメージをあらわす時に使ってやればいいんです。
「この○からこっちの○まで、ぜんぶの○を数えるんですね」
「こっちの●を引くと、これだけのこるんですね」

そうやっていけば、子ども達はその使い方を覚えて、自分で図を説明できるようになる。そうなってから少しずつ説明させれば、確実に子ども達は「算数のイメージ」を話すようになる。算数で読まなくてはならないのは、文章ではなく、数量のイメージです。

「●+◎をすればいいと思います」
「なぜたし算なの?」←愚問です。
「たし算をする」というのは、「●と◎を○○と見る」ということだから。
子どもは説明が下手ですけど、○○の部分を数えればいいと思います、と言っているのと同じなんです。なのに「なぜたし算なの?」と訊くのは「なぜそこが答えなの?」と言っているのと同じ。「だって問題でそれをきかれてるから」としか言いようがないですよね。

でもそう質問する先生って、「ぜんぶでと書いてあるからです」とか言わせたいらしい。もうどうしようもないです。

こんな教え方が蔓延してたら、そりゃ新指導要領に明記してでもまともに教えてもらわなくちゃって思うでしょうねえ。先生方、もう少し普通に算数を勉強しようよ。


…… コメント ……

2008/3/14 5:33 投稿者:DEN
通知票の所見で行き詰まり、なにかいい所見例がないかなあと探していて、「日々是修行」にぶち当たり、そこからここに来てます。
気づいたら、所見の方を忘れて、ブログに見入ってしまいました…

低学年の算数で、言葉に着目させて式を考えさせるのは、間違いではないとは思うんですが、言葉にだけとらわれると、算数が苦手な子が確実に増えそうですね。
大人にとっては簡単なことでも、子供にとっては難しいですもんね…
授業中、できるだけ思考させる時間を確保するようにしているんですが、その日の予定進度もあるため、ついついあせらせてしまっちゃう自分を反省しました。

さて、通知票の所見書きにもどります!

そうそう、「パソコンが一人でできない先生」には、大笑いさせてもらいました。
自分は現在3校目ですが、どこに行ってもこんな先生がいますね。
人間、向き不向きもあるのですが、教えてもらう先生がそのことを当たり前のように思っているのには、ちょっと腹がたちます。
中には、教えてもらったお礼に、業務を肩代わりしてくださる先生もいらっしゃるのですが…
教師の中には「給料泥棒」な人がいますが、「時間泥棒」もいて、大変ですね(笑)


2008/3/15 18:25 投稿者:みっぴ
■DENさん、いらっしゃいませ!
笑子さんのところからいらっしゃったんですね。
あ、でもDENさんのお名前はブログを見て回ってる時にお見かけしたことあると思いますよ。今後ともよろしくです。

「時間泥棒」…「モモ」みたいですね!最近の時間泥棒は手が込んでいて、急にお休みしてその学級のお世話まで頼んで下さいます。あはは。4月に異動予定ですが、異動先にもたくさんいそうで怖いです。(^^ゞ

通知表お疲れさまです。もう完成したかな?
あと数日、子ども達と楽しめるといいですね。


2008/3/15 20:04 投稿者:DEN
こんばんは。
自分も3月で転勤予定です。
現在、僻地校4年目なので、異動するのは間違いないところです…
すごくいい学校なので名残惜しいですが、新しい出会いに期待したいと思います。

転勤先に、時間泥棒が少ないことをお互い祈りましょう(笑)
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私とブログについて
小学校の教諭をしていましたが、2012年に退職しました。
定年じゃないですよっ!
ヾ(@°▽°@)ノ
今は、教育とは全く関わりのない生活を送っています。

ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。

大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
応援しています。
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