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小学校の子ども達のことや、学校の様子を振り返って & おすすめの本、趣味の話など…まあ、適当に。 (2022.6.14ここに引っ越してきました)
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今、2年生の教室の前を通ると、よく「スイミー」を音読しています。
時々「あれ?」と耳を傾けると、言い直しの声が聞こえます。お〜、みっぴの耳はまだスイミーの文章を覚えているんだ〜。えらいえらい。なーんてね。
ヾ(´▽`;)ゝ

さて、いつでも「いっぱいいっぱい。」続・小学校教師のキモチ。〜授業とは、まさにライブだ。〜を読んで、「この発問すごい!」と、背中がぞくぞくしてしまったので、ここに書き留めておきます。

その発問は、スイミーが赤い魚たちに、大きな魚になって泳ぐことを提案する場面。
「スイミーは、いつ「ぼくが目になろう。」と言ったのだろうか。」

私だったら、こんな風に言いかえて授業したい。

スイミーは、なぜ始めから「ぼくが目になろう。」と言わなかったのだろうか。

手元に本文がないので、覚えている文で考えてみます。大きな間違いがあったら教えて下さい。

スイミーは、赤い魚たちに、大きな魚のふりをしてみんなで泳ぐことを提案します。
そして、離ればなれにならないことや、持ち場を守ることを教えます。
運動会の練習より難しいかも。ものすごく時間がかかったと思います。
そして、みんなが大きな魚のように一糸乱れず泳げるようになった頃、スイミーはやっと「ぼくが目になろう。」と言うのですよね。

でも、よく考えてみると、赤い魚たちにとっては、スイミーはいわば「よそ者」です。
他からふらりとやってきた一匹の魚が、一生懸命説得するから、「そうかな〜。外の世界も見てみたいし〜、やってみるか。」と、大きな魚になって泳ぐ提案を受け入れて、練習しはじめたのです。

その彼等に向かって、スイミーは「ぼくが目になろう」と言う。

もちろん、自分が黒いから目になると言ったのですが、それは「新しい赤い魚たちの中に、自分の居場所を見つけた」ということなのではないでしょうか。
何度も何度も繰り返し練習して、やっとだんだん上手になってきた、その過程の中で、赤い魚たちとスイミーの間に絆が生まれてきた。

そして、「ぼくが目になってもいい?」ではなく、「ぼくが目になってあげるよ」でもなく、「ぼくが目になろう」と言ったスイミー。

それは、スイミーが「赤い魚たちも、スイミーが赤い魚たちの一員であり、スイミーがここでは目の役割をすることがベストだと感じてくれているに違いない」と思うからこその言葉だと思うのです。

「なってもいい?」では、「いや、それは困る」と言われる可能性をわずかでも感じていることになるし、「なってあげるよ」や「目になるよ」では、スイミー自身が自分は先生か何かのような特別な存在だと考えていることになる。

スイミー自身が、赤い魚たちと自分とのつながり(対等なつながり…仲間と言うべきかな)を感じられたからこそ、ここで、この言い回しで、自分が目になる提案ができたのでしょう。

学級で言えば、「転校生」が転校生でなくなった瞬間、なんだと思う。

…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……

自分的には、くじらぐも以来のヒットなんですけど(^。^;)

…と思って探したら、ブログには載せてなかったみたいなんで、昔のホームページから掘り出してきて再録しておきます。確か10年くらい前のメモです。↓

…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……

●「くじらぐも」のこと

私が今までやった(といってもほんの数回ですが)くじらぐもの中で、今も大ヒットと思っている学習問題(読み通しの目)は、「主人公のしたことでどうしても何故だかわからないことは?」と尋ねたときに、子どもから疑問として出たものです。

「くじらぐもは、なぜはじめは降りてこなかったのだろう?」

 つまり、くじらぐもは本当はジャングルジムまで降りてこられる能力を持っているのになぜ降りてこなかったのか。降りてくれば、みんなは一生懸命ジャンプしなくてもジャングルジムからくじらぐもに簡単に乗れたのに、ということです。

 実を言うと、私の気づかなかった視点でした。子どもたちと一緒に言葉を一つ一つ読んでいるうちに、何も喋らないくじらぐも、人まねをするくじらぐも、そして、初めて自分の言葉で喋るくじらぐもが見えて来ました。

 子どもたちは、「くじらさん、はずかしかったんだね。」「一緒に遊びたいけどうまくいえなかったんだね。」「ぼくも初めての人と話すとき、ドキドキするよ」と書いてくれました。

 こんなのは「天までとどけ、一、二、三。」を何回演技してもたぶん分からないことではないかな。


2007/7/7 10:02 投稿者:うるとらまる
ワタシの授業のことを記事にしていただき
ありがとうございました。

この「目になろう」という表現で、
様々な読みができるなぁと思いました。
特に子どもたちの背景から浮かびあがってくるホンネが面白かったです。

ちなみに、うちの家内に聞いたところ
「自分が目になる? 
 あ、自分が一番安全なところにいようと
 したんだ。」とのこと。

うちの家内らしくて、それもまた
面白かったです。

ありがとうございました。


2007/7/8 10:02 投稿者:みっぴ
うるとらまるさん、目から鱗の授業をありがとうございます!
久しぶりに国語の教材研究をした気がします。(^-^)

奥様の台詞、秀逸ですね。
人のためのような言い方をして、結局自分は何もしないで逃げてる人っていたりしますものね。

私が一番に思いついた↑と違う答えは
「みんなで大きな魚を作ってみたら、目があった方がいいことにあとで気がついたから」
です。…いつも行き当たりばったりのみっぴさんをあらわしているようで、何だかオマヌケですね。(^^ゞ
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私とブログについて
小学校の教諭をしていましたが、2012年に退職しました。
定年じゃないですよっ!
ヾ(@°▽°@)ノ
今は、教育とは全く関わりのない生活を送っています。

ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。

大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
応援しています。
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