小学校の子ども達のことや、学校の様子を振り返って & おすすめの本、趣味の話など…まあ、適当に。
(2022.6.14ここに引っ越してきました)
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DYKプロジェクト さんの記事「自己分析 」へのトラックバックです。
(コメントしようとしたら字数が多すぎたようです)
(コメントしようとしたら字数が多すぎたようです)
…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…*…
私の場合は、片づけが全然できません。
どこの学校に行っても、知らないうちに小人さんが出てきて、いつのまにか私の机の上の物を段ボールに詰めて机の脇に置いてくれています。(^^ゞそれでも3日と持たないですね。あはは。
で、私も片づけに関しては「どうせだめなんだ」と思っていますが、それは「あきらめている」という感覚ですね。「片づけができない、これが私」という感じで、へらへらしてます。で、まあ引き出し一つでも片づけてみて、「おー、きれいになった、すごい!」と思ったりする。
Kさんの場合、「だめな自分」が「自分」であることが嫌なんだろうなあと思います。「自己肯定」というのは、自分のいいところを見つけるだけではなくて、悪いところもそのまま自分なんだから、それでいい、そこから成長すればいいと開き直ることなのではないかな、と思うのですよ。
私はたまに「高校に行かなければならないと焦る自分」を夢に見て飛び起きることがあります。きっと、その頃の「がんばらなかった自分」が自分自身だということをまだ認めきれてないんだなあと思ったりしています。今も全然がんばらない人なんですけどね。(*^o^*)
それから、そういうだめな自分を感じた時、しっかり覚えておくことが、子どもを理解する時に大きな助けになることがよくあります。
今小学校一年生の担任ですが、ありがたいことに、小1の時の記憶がまだかなりあるので、「先生に叱られた時になぜなのか分からなかった自分」や、「友達に軽い気持ちでわからないようにいたずらをして、それをどうしてもいえなかった自分」を思い出し、「ああ、それで今聞かれてもしゃべれないんだ。じゃ、どんな風に話したらしゃべりやすいだろう」と、策を考えることができているように思います。
Kさんのところは中学生相手だから、リスカしたくなる子も(してる子も)中にはいるかもしれない。そういう時、「考えるだけにしておきな」と本気で言える先生って、子ども達にはとっても心強いものだと思いますよ。
そう言えば、自分が死んだらどうなるか、どうやったら死ねるものなのか、かっこいい死に方はないか、なんて一生懸命考えてたのは中学・高校の頃だったような気がしますね。
あ、関係ない話になってしまった。ヾ(@°▽°@)ノ
-------------------------------------------
コメント
■難しいですよね。
僕のクラスの子の場合、通常学級から来た子は、
通常学級の中では浮いた存在になってしまって、少なからず自分に対して自信をもてない子が多いですね。
「今の場所に来て本当に良かった。」「学校生活が楽しい、勉強がおもしろい」って
思えるように少しずつ充実感や達成感を持たせられるようにすることが、
自分がやらなくてはいけないことだと思っています。
でも、なかなかうまくいかないものですよね〜。う〜ん、もどかしい。
つれづれ (2005-06-05 10:47:30)
■つれづれさん
そうですね、一番は「学校が楽しい」と言ってもらえることですね。でも、その子がある程度がんばらないと充実感・達成感は難しいですからねぇ…。
一年生はそろそろ緊張の糸が緩み始め、体調が悪くなったり、集中力がなくなったり、大変です。授業どころじゃなかったりして。(^^ゞ
みっぴ@管理人 (2005-06-06 22:20:29)
■バランス感覚で♪
「自己肯定」がよいのは、かなり生真面目な人の場合でしょうね、。
それも度を過ぎると今時の「NEET」を生んでしまうような気もするのですが…
pandora-203 (2005-06-16 01:50:21)
私の場合は、片づけが全然できません。
どこの学校に行っても、知らないうちに小人さんが出てきて、いつのまにか私の机の上の物を段ボールに詰めて机の脇に置いてくれています。(^^ゞそれでも3日と持たないですね。あはは。
で、私も片づけに関しては「どうせだめなんだ」と思っていますが、それは「あきらめている」という感覚ですね。「片づけができない、これが私」という感じで、へらへらしてます。で、まあ引き出し一つでも片づけてみて、「おー、きれいになった、すごい!」と思ったりする。
Kさんの場合、「だめな自分」が「自分」であることが嫌なんだろうなあと思います。「自己肯定」というのは、自分のいいところを見つけるだけではなくて、悪いところもそのまま自分なんだから、それでいい、そこから成長すればいいと開き直ることなのではないかな、と思うのですよ。
私はたまに「高校に行かなければならないと焦る自分」を夢に見て飛び起きることがあります。きっと、その頃の「がんばらなかった自分」が自分自身だということをまだ認めきれてないんだなあと思ったりしています。今も全然がんばらない人なんですけどね。(*^o^*)
それから、そういうだめな自分を感じた時、しっかり覚えておくことが、子どもを理解する時に大きな助けになることがよくあります。
今小学校一年生の担任ですが、ありがたいことに、小1の時の記憶がまだかなりあるので、「先生に叱られた時になぜなのか分からなかった自分」や、「友達に軽い気持ちでわからないようにいたずらをして、それをどうしてもいえなかった自分」を思い出し、「ああ、それで今聞かれてもしゃべれないんだ。じゃ、どんな風に話したらしゃべりやすいだろう」と、策を考えることができているように思います。
Kさんのところは中学生相手だから、リスカしたくなる子も(してる子も)中にはいるかもしれない。そういう時、「考えるだけにしておきな」と本気で言える先生って、子ども達にはとっても心強いものだと思いますよ。
そう言えば、自分が死んだらどうなるか、どうやったら死ねるものなのか、かっこいい死に方はないか、なんて一生懸命考えてたのは中学・高校の頃だったような気がしますね。
あ、関係ない話になってしまった。ヾ(@°▽°@)ノ
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コメント
■難しいですよね。
僕のクラスの子の場合、通常学級から来た子は、
通常学級の中では浮いた存在になってしまって、少なからず自分に対して自信をもてない子が多いですね。
「今の場所に来て本当に良かった。」「学校生活が楽しい、勉強がおもしろい」って
思えるように少しずつ充実感や達成感を持たせられるようにすることが、
自分がやらなくてはいけないことだと思っています。
でも、なかなかうまくいかないものですよね〜。う〜ん、もどかしい。
つれづれ (2005-06-05 10:47:30)
■つれづれさん
そうですね、一番は「学校が楽しい」と言ってもらえることですね。でも、その子がある程度がんばらないと充実感・達成感は難しいですからねぇ…。
一年生はそろそろ緊張の糸が緩み始め、体調が悪くなったり、集中力がなくなったり、大変です。授業どころじゃなかったりして。(^^ゞ
みっぴ@管理人 (2005-06-06 22:20:29)
■バランス感覚で♪
「自己肯定」がよいのは、かなり生真面目な人の場合でしょうね、。
それも度を過ぎると今時の「NEET」を生んでしまうような気もするのですが…
pandora-203 (2005-06-16 01:50:21)
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私とブログについて
小学校の教諭をしていましたが、2012年に退職しました。
定年じゃないですよっ!
ヾ(@°▽°@)ノ
今は、教育とは全く関わりのない生活を送っています。
ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。
大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
応援しています。
定年じゃないですよっ!
ヾ(@°▽°@)ノ
今は、教育とは全く関わりのない生活を送っています。
ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。
大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
応援しています。
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