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小学校の子ども達のことや、学校の様子を振り返って & おすすめの本、趣味の話など…まあ、適当に。 (2022.6.14ここに引っ越してきました)
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私が良く読みに行っているブログに「現役おばちゃん教師 日教組の何が悪いのよ!!」という過激なタイトルの、でもすごく優しくて頼りになる感じで「こういう人と一緒に仕事してみたいなあ」っていつも思いながら読んでるブログがあります。

今回その中の「だから行事はやめられない」という記事とコメントに少々思うところがあって、管理人のすずめさんはそのことは十分ご承知のようでしたので特にコメント欄に書きこむことはしないで戻ってきたのですが、こちらに自分の考えをまとめておこうと思った次第です。

また長くなるからってのもあるな。あはは。

★学校行事とは★

学校の教育活動は「学習指導要領」に則って行われるわけで、学校行事もその中に入っています。項立てはこんな風になっています。↓
第1章 総則
第2章 各教科
(国語・社会・算数・理科・生活・音楽・図画工作・家庭・体育)
第3章 道徳
第4章 特別活動
(学級活動・児童会活動・クラブ活動・学校行事)

「道徳」は独立した章になっています。それだけ重要視しているということだと思います。
しかし、「学校行事」は「特別活動」の中の一つです。児童会活動などと同列に置かれています。このあたり、あまり知られていないところかもしれません。

では、特別活動とは何か。
目標は次のようになっています。(現行のもの)
望ましい集団活動を通して,心身の調和のとれた発達と個性の伸長を図るとともに,集団の一員としての自覚を深め,協力してよりよい生活を築こうとする自主的,実践的な態度を育てる。

つまり、↑こういう目標を達成するために、児童会をしたり行事をしたりする、というわけですね。

では、「学校行事」はどんなことをするように書かれているのでしょうか。
学校行事においては,全校又は学年を単位として,学校生活に秩序と変化を与え,集団への所属感を深め,学校生活の充実と発展に資する体験的な活動を行うこと。

とあり、その中に
儀式的行事
学芸的行事
健康安全・体育的行事
遠足・集団宿泊的行事
勤労生産・奉仕的行事

を行うように書かれています。運動会なら「健康安全・体育的行事」を行っていることになるわけですね。

さらに、「健康安全・体育的行事」では
心身の健全な発達や健康の保持増進などについての関心を高め,安全な行動や規律ある集団行動の体得,運動に親しむ態度の育成,責任感や連帯感の涵養,体力の向上などに資するような活動を行うこと。

とあります。

このように、学習指導要領を見て分かるのは

●「運動会をしなければならない」とは書かれていない
●「全校または学年を単位として」「運動や健康に関わる」活動をしなければならない
●「学校行事」は「児童会活動」や「国語」「音楽」などと同列にある


ということです。

学校の裁量で、例えば運動会をクラスマッチにしたり、出場演目を選択制にしたりということは可能なようですが、運動に関わることをしない子が出ることや、個人種目だけの、集団を意識できない行事になることは考えられていないようです。

また、運動会などは、保護者だけでなくて地域も参観・参加することになっている学校も多く、そういう場合にいきなり「クラスマッチに変えたい」などと学校が決めるのは、地域から反発を受けてしまうので、難しいですね。

運動会的な行事は、日本の学校では国語や算数をするのと同じようにしなければならないものということになりますね。

運動会に参加しないことを認めるなら、同じように国語や算数の授業に参加しないとか、理科の実験をしないとかも認めることになりそうです。まあ、最近は「絵を描くのが苦手だから描きたくない」とか「授業中あてられると恥ずかしい」とかの理由で不登校になったりしますから、個別に認めていかなきゃならなくなってきてますが。

(11/10追記:あらためて向こうのブログのコメント読みながら考えたんですが。↑の「絵を描かない」とか「授業中発言しない」とか「テストを受けない」とか「歌を歌わない」とか「演奏しない」とかを認めていくのって、「人権を尊重している」ことになるんですかねえ。私には分かりません。なんか違うような気がするけど、うまく言えません。もちろん、今までにもそういう訴えがあれば個別に認めていってますけど、それって適応障害に近いものがある気もするなあ。うーむっ。)

でも。
ここからが今日私が書きたいことなんですけど、↑に赤字で書いたのを正しく捉えていない先生って多いと思うんですよ。

運動会や音楽会は、あくまでも教育活動の一環であり、各教科の時間を潰してまで練習するのはおかしいということです。

「学校行事」としての時間数は、実は当日の時間だけです。運動会なら一日ありますから5時間、音楽会などでしたら本番の2時間程度ですね。良心的な学校は、リハーサルや全校での練習の数時間を行事に充ててくれている場合もありますが、練習の時間は各教科の時間でまかなわれるのです。ごくまれに、「学校裁量の時間」というのを練習に数時間充ててくれるすばらしい学校もあります。

でも、一般的に、各教科の年間カリキュラムや教科書は、年間の授業時数いっぱいを使って授業するように計画されて作られています。そうすると、例えば「本来はリレーに6時間取って、バトンパスのしかたを指導したり、チームで相談しながらの練習をするはずだけど、そこのところは4時間くらいで仕上げて、あとの2時間で運動会での並び方や入退場を練習する。チームでの自主練習は昼休みにさせる」なんてことになるわけです。音楽だと「リコーダーの練習時間を減らして音楽会の合唱の練習をする」とかになると思います。もっと悲惨なところもあるかも。

おまけに、運動会や音楽会などで使える時間は、小学校の場合そうやってやりくりしても10時間程度が普通ですが(だから、週3〜4時間程度で3週間くらいの練習なら大体OK)、それでも「時間が足りない、うまくできていない」からと、どんどん時間を伸ばして、あちこちの時間を削って練習に充てようとする先生もいます。そんなことしたらあとになって教科書が終わらなくなるってことが分かっていない。または、「ここのところは読んだら分かるから」とか勝手に理屈をつけて教科書を読むだけで終わったりしています。

また、休み時間は子ども達が休憩をとり、子ども同士で考えて遊ぶ大切な時間なのに、その時間を「○○グループは昼休みに○○に集まって練習です」と強制して、休み時間を奪ってしまう。子ども達が本当に自主的に練習するというのなら構わないんですけど、させられるんですから、子ども達の疲れはたまるばっかりです。

以前「運動会の練習」でも書きましたけど、時間が足りなくてできないとか、子ども達が下手でできるようにならないとかじゃなくて、計画性がないから子ども達が短時間でできるようにならないだけだと思うんですよね。

でも、理解できない先生はいくら説明しても理解してくれないんで、子どもや親としてもしこういう先生に当たったら諦めるしかないかもしれませんね。先生としてこういう先生が周りにいたら、次からは自分が責任者として、例えば練習時間を決めて計画書を出させるとか、先手を打たないといけないでしょうね。

蛇足ですが、この手の先生は、練習しさえすればできるようになると思っているので、「継続は力なり」という言葉が大好きです。座右の銘だったりします。あと、漢字テストの点数が低い子に漢字の書き取りを宿題に出すのが大好きです。宿題で、間違えたまま1ページ書いても練習にならないじゃんねぇ。


実は音楽会の練習で学年の先生方の熱の入れよう(つまり時間をどんどん食っちゃう)に少々げんなりのみっぴさんなのでした。
(´ヘ`;)ハァ


…… コメント ……

2008/11/10 21:03 投稿者:DEN
運動会の練習しかり、学習発表会の練習しかり…どれだけやっても、完璧なものはできないのに、やたら練習時間だけがかかってしまいますね。

自分の中で、年間の見通しを持ってやれば、多少時間はかかるものの、今よりもっと短い時間でいいものができる気がします。
運動会の練習だと、9月の1ヶ月ですべてをやろうとするから無理なのであって、1学期からちょっとずつ練習を取り入れた授業をしておけば、かなり時間が短縮できるはず。
結局は、「日常の業務に追われて」という言い訳で、毎年同じことが繰り返されている気がします。

去年までは、1学年1クラスの小規模校だったので、比較的無駄な時間を作らなくて済んだのですが、今年は複数クラスの中規模校で仕事をしているので、他のクラスと合同で活動することが多く、イライラしっぱなしです。
もうちょっと効率のよい仕事のやり方ができるようになりたい今日この頃です…


2008/11/11 21:31 投稿者:みっぴ
■DENさん
私の場合はDENさんと逆ですね。今までの学校は大規模校で学年の先生がそれぞれ自分の得意分野の原案作りを引き受け、それを他の先生に説明して、仕事を分担してさっさと済ませていたのですが、今度の学校は学級数が少なく、例えば音楽が得意でない先生ばかりが集まってこれはどうするのとかどうやればいいのとかうだうだやってるもんだから、ちっとも話が進まなくってイライラ…です。

あんまりしゃしゃり出てもどうかと思うし、でも見てると子ども放り出して先生達だけで相談したりしてるし…。

何にしろ、効率よく仕事しておかなくちゃですね。とか言いながら今日は机の上のたまった書類を片づけただけで時間が終わってしまいました。あはは。


2008/11/20 18:35 投稿者:オーガニック
こんにちは。
私の学校はコミュニティスクールです。(制度の可否は別にして)地域人材の行事などへの支援については色々と話し合ってきました。理由は先生達には本来の業務に集中してもらいたいから、です。あまりにも無駄と思える仕事をこなし続けなければならない先生達を見ていて、本末転倒な話しだと思うことがたびたびありました。
その中で、来年度以降の年間授業時間の振り分けについて、ここ数週間協議をしてきましたので、とても興味深い記事でした。基礎定着のためのドリル実践の時間を授業時間としてカウントするかしないのか?からはじまって、それこそ行事の練習時間や本番日の時間の取り扱いも協議しました。
6月に運動会、10月に陸上競技記録会、11月に市の音楽発表会・・・その他もろもろ。おかげで書写の35時間の消化が11月なのに、まだ0時間ってクラスもあります。算数少人数クラスも厳しくなってきました。問題のあるクラスへ級外の先生がついてしまうため、日中職員室は常時空っぽ。
なんでこんなに年間スケジュールでぎっしりなのでしょう?本当に意味のある行事ばかり、とは言い切れない気がします。一度はじめたものをやめる、もしくは負担軽減をする、というのは、学校という場所ではやりにくい事情もあるのでしょうか??


2008/11/30 15:29 投稿者:みっぴ
■オーガニックさん
いらっしゃいませ!今後とも御贔屓に♪

>一度はじめたものをやめる、もしくは負担軽減をする、というのは、学校という場所ではやりにくい事情もあるのでしょうか??

保護者や地域にいい顔をしたいから、あれもしましょう、これもはじめましょうと言うんですよね、たいてい校長先生が。(^^ゞで、反対する人には「やってみてから、どうだったか考えればいい」と必ず言うんですが、現実は、一度始めてしまったらものすごい理由がない限り「やめる」のは難しいですね。そうやってどんどん増えていく行事…。

一度、週五日制が始まった頃に行事の精選が各学校でそれなりに行われたんですが、やめたらやめたでやはり保護者や地域から「あった方が良かった」と言われたり、異動してきた校長先生が「何故無くなったんだ?これは必要だ」と復活させたり、結局元通りってことが多いようです。

>基礎定着のためのドリル実践の時間を授業時間としてカウント

もしこれを算数の時間で取るとすると、算数の教科書を使って学習する時間がそれだけ削られるってことですよね。特に算数は指導事項がきっちり決まっている分、時数を減らして定着させるのは至難の業だと思うので、「基礎定着のドリル」が本末転倒になってないかな?とちょっと気になったりもしました。うちは逆に「そんなのしなくていいから算数のドリルさせようよ」と言いたくなる内容の帯時間があります。これも困ったものです。
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私とブログについて
小学校の教諭をしていましたが、2012年に退職しました。
定年じゃないですよっ!
ヾ(@°▽°@)ノ
今は、教育とは全く関わりのない生活を送っています。

ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。

大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
応援しています。
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