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小学校の子ども達のことや、学校の様子を振り返って & おすすめの本、趣味の話など…まあ、適当に。 (2022.6.14ここに引っ越してきました)
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研究授業がありました。
校内の一つの学級が授業を公開して、他の先生方がそれを参観し、授業の手だてとかが学校として提案する仮説通りうまくいったかどうかあとで協議するわけですが。
こういうのがあるたびに子ども達を自習にして見に行かなきゃいけないってのがまず困りものです。1回や2回なら何とかなるけどさあ。はじめに子どもありき、じゃないのぉ?
(´ヘ`;)ハァ

あ、いや、今日はこういうことを言いたいんじゃなくって。

……・……*……・……

今日の授業は新任さんの授業で、講師として別の学校の校長先生がいらしてたんですけどね。その先生の指導内容が、「研究以前のこと」ばっかりになってしまったんです。
簡単に言うと「授業になってない」ってこと。いや、子ども達はとってもよく頑張ったんですよ。素晴らしかった。

前にも新任さんのことについて記事にしたことあるけど、ここの学校も、というか、ここは前の学校以上に、初任研がまともに機能してないわけです。それだけじゃなくって、他の先生方の授業も、授業の基本を押さえきれていないというか…うーむっ。

今回指摘された件をいくつか。

……・……*……・……

▲めあてに呼応したまとめになっていない。
 ふつう、授業には子どもが達成すべき目標が「めあて」として掲げられます。この辺りの学校ではめあてをきっちり板書しておくことまで求められています。例えば、「ひとりぼっちになったスイミーのようすを読み取ろう」とか、「1cmより短い長さの表し方を説明しよう」とか。

そして、授業の終わりにはそれが解決して、まとめとして板書されるわけです。前の例で言うと「スイミーはとてもかなしかったけど、すばらしいものをたくさん見てだんだん元気を取り戻した」とか、「1cmを10にわけた1つ分を1mmとして、そのいくつ分で長さを表す」とか、まあたいていは喋った子どもの言葉でまとめることが多いですが、そんな感じに書くわけです。

ところが、今回の授業では、指導案の段階で、めあてに呼応したまとめが書かれていなかったし、授業でもめあてに呼応する形の物は出てこず、板書にも別のことがまとめとして書かれてしまった。「スイミーの様子を読み取ろう」なのに、まとめでは「この場面では比喩表現がたくさん使われている」としてしまうとか。(あくまでも例です)

▲板書が整理されていない。
 縦書きと横書きが混じっている、べたべた資料を貼りすぎて何が大事なのか分からない、色分けの色に意味を持たせていない、子どもから出た意見のはずなのに既に紙に書いてあったものを貼っていた、などなど。

確かに、ADHDの子なんかがいたら、目がチカチカして奇声を上げそうな板書でした。子ども達よく頑張ったよ。ホント。

▲発問計画が作られていない。
 発問が二転三転すること、子どもが考える時間を与えずに次々先生が発言すること、そんなところを指摘していました。誘導尋問もかなりあったしね。

……・……*……・……

その他、もっと基本的な細かい部分の指摘もありましたし、研究のテーマに関わる内容もいっぱい言って下さいましたけど、書いちゃうと学校がばれそうなので書きません。

…こんなの、研究授業の協議会で言われるはずのことじゃないよね。初任者だろうが、あ、違う、初任者だからこそ、初任者指導担当の先生や学年の先生、校長や教頭がきっちり指導していて当たり前でしょ?

授業そのものは初任者だから下手だろうし失敗するだろうけど、授業の組み立て方、その中の発問・板書・めあてとまとめなど、ごく基本的なところは、4月から指導できるはずだし、それが忙しくてできなかったとしても、研究授業の指導案を作る時とか、授業前の準備の時とかに、いくらでも指導して、そういうところは指導案上だけでも、計画だけでも完璧にできるはずでしょ。

授業が終わった後「この発問をしなかったので子どもが悩んだ」とか、「本当はこう書きたかったのですが子どもの言葉からこう書いたのでめあてとまとめが呼応しませんでした」とかなら分かるけどさ。指導案の中身や、計画の段階のことについて言われるって、どうよ。

これって、外部の先生から「おたくの学校は初任者に授業の仕方もまともに教えてないんですか」と管理職や他の先生(私も含めて)が笑われたのと一緒だと思う。めっちゃ恥ずかしいことです。それを分かってなくてヘラヘラしている連中も腹立たしい。

授業者でなくて、指導者のお前ができてないって言われてるんだよ!

研究ごとで自説を主張して吠えるのは別にいいから、初任者にフツーの指導案の書き方とフツーの授業のしかたを教えてやってくれませんかねえ。


…… コメント ……

2008/7/6 15:54 投稿者:笑子
みっぴさん、こんにちは。
この間はブログにコメントありがとうございました。
みっぴさんのこの記事にちょっとだけ共感できる出来事があったので、コメント残していきます。
ふつうの指導案がかけない人がたくさんいるということが、まず事実だと思います。あたしもまだまだ修行の身ですから、偉そうにはいえませんが、それでもあんまりだろう・・・と思う指導案を書く人が40代でもいます。ですから、後輩へ何も指導ができないのです。実践もないしやる気もないから、そうなるんだろうと思うし、逆にあたしみたいな生意気な下っ端に意見されて、陰口叩いたりする人もいます。
深いところまで研究できません。それを突っ込むと、「○○先生の意図を大切に・・・」とか、子どもができないことを理由にして、「子どもの実態に合わせて・・・」とかって逃げられる。
そうじゃなくて、今後どうしたらいいのかって研究したいから聞いているのに、っていつも思うのです。

初めての高学年担任して思ったこと。誰も何も指導はしてくれない。常に自分で学んで聞いていくしかないと言う状況に若い先生たちは立たされている。でも、私の経験上、聞いてまともに答えてくれる先生のなんと少ないことか!!あたしもできな〜い、先生、一生懸命だね〜、とはぐらかされるのが落ちです。

唯一、まともに返してくれて、ちゃんと指導できるのが教頭。その人しかいないのです!もっといろんなこと学んでいるはずの、先生たちはいるのに、やる気のないことにびっくりしてしまいます。
研修の会議でも、誰も何も意見が言えない。あたしが質問しても答えてくれない。仕方がなく、自分の意見を言うのは30代前半の、若い人たちばかり。
うちの学校に初任者が来たらたいへんだろうなあって思います。


2008/7/6 19:58 投稿者:無敵
研究授業以前の問題とはつらいですね。今は、昔に比べて初任者の研修が厳しいくらいありますからね、大変だと思います。でも、指導に当たる先輩がしっかりしていないと教わる方も困ってしまいますね。指導教官の責任は重大ですね。


2008/7/6 21:51 投稿者:ぴょん
う〜む……いずこも同じ……って感じだね。
そもそも授業の基本とは何ぞや?ってとこから
共通理解して行かなくちゃいけないのかもね。

前の学校で国語の「書くこと」で研究をやるぞ!と言うことになったとき、
うちの学級でまず始めたのが鉛筆の持ち方!
「もちかたくん」を全員に配って正しい持ち方になるように……
保護者会でも伝えて家庭でも協力してもらいました。
それが「書くこと」と直接つながりはしないんだけど
それくらい1年生で指導しておいてほしかったよ……

公開発表とか見に行っても
それ以前ってこと多くない!?


2008/7/7 7:52 投稿者:DEN
自分は初任校が県立の施設だったため、出向扱いで、教職員の初任者研修を受けることができませんでした。
(県の初任者研修も受けられませんでしたが…)
そのため、転勤して初めて小学校で仕事をしたとき、授業の進め方は分からないし、出席簿の付け方は分からないし、あれもこれも分からず、非常に苦しい思いをしました。

でも「分からなければ聞く」という当たり前のことをそこで学べたような気がします。

初任者の先生は、何が分からないかも分からない状態だと思うんです。
だからこそ、事前の指導案検討などできちんと検討してあげることが大切だと思います。

…子供を育てるのも難しいんですが、先輩として後輩を育てるのも難しいですね。


2008/7/12 16:12 投稿者:みっぴ
■笑子さん
そうですねー、指導案って何を書くものか、分かってない教師っていっぱいいるみたいです。で、「自分は分かってない」ってことが分かってればいいんですけどね、「自分は研究事をやってるからそんじょそこらの教師よりもいい指導案を書ける」と思ってたりするからタチが悪いんですよねー。あはは。

まあ、その人達の使い道は「反面教師」でしょうね。こんな風にはならないぞ、そのために自分はこうする、ってのを考えて実践しましょ。

■無敵さん
指導に当たる先生がしっかりしていない、それを指摘するはずの管理職も何も見えていない、というか外面ばかり気にする校長・教頭です。せっかく初任研があるのに、ただ指導案を書くことに忙殺されていて、もったいないですよ。計画的に指導案の書き方から指導したらいいのに、と思います。

■ぴょんちゃん
前の学校は毎年4月に学習の構えの見直しがあって、年間通して鉛筆の持ち方とかノートの取り方なんかを学校全体で指導するので、割とどの学級に行っても指導が同じで助かっていました。

だからかなあ、今度の学校で、シャープペンシルを平気で使ったり、定規を使わないで線を引いたりしてる子を見るとげんなりしちゃう。

そういうのが気にならない教師っているのよねー。だから、自分の発言を子どもが理解できてるかどうかなんて気にならないし、子どもが授業に興味を持てなくなっていても気にせず一問一答誘導授業をするんでしょうね。

■DENさん
最近は中学校や幼稚園から小学校への転任をすることも多いので、その人達は小学校の授業の基本が学べていない、ということもありますね。教えるのが仕事のはずなのに、大人に教えることすらできてないんですよねえ。

今日は「時数管理のできない先生」がいたので、来週の授業時数がまともに確保できず、怒りまくって帰ってきました。この人が主任クラスなんだから笑っちゃいます。全く(^^ゞ


2008/7/13 22:37 投稿者:ぴょん
「毎年4月に学習の構えの見直し」っていうのはいいねぇ。
全校で見直しができるもんね。

シャープペンシルを何本も持ってきていたり
普段使わないカラーペンで満杯のポーチ式の
筆記用具入れがまかり通っていたり……
下敷きを使っていなかったり……
教室の中でジャンパーを着ていたり……
言い出したらきりがないくらいあるけれど、
それを指摘しても「?」という感覚……
難しいなぁ……


2008/7/20 18:05 投稿者:みっぴ
>それを指摘しても「?」という感覚
あるある。子どももだけど、先生自身が「このくらいいいんじゃない?」と思ってるところが困るのよね。我がクラスも最近まで、「前の先生はダメって言わなかった」って言ってましたもん。

そういうのを時間かけてていねいにやるべきだって全職員が理解できれば、時間ばっかりかかる研究事とか行事とかも精選されていくと思うんですけどねえ。
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私とブログについて
小学校の教諭をしていましたが、2012年に退職しました。
定年じゃないですよっ!
ヾ(@°▽°@)ノ
今は、教育とは全く関わりのない生活を送っています。

ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。

大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
応援しています。
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