小学校の子ども達のことや、学校の様子を振り返って & おすすめの本、趣味の話など…まあ、適当に。
(2022.6.14ここに引っ越してきました)
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10年前に卒業させた教え子の女の子とひょんなところで会ってしまいました。
詳しく言うとわかってしまうので詳細は控えますが、何だか、「変わってないなー」と、嬉しかったです。
いつもにこにこと友達思いのいい子でしたが、そのまんま大きくなっていました。
「笑顔がいい」って、ただきれいなだけじゃなくて、まわりをHappyにする、すっごい得なことですよね。
私はきっと、すごくオバサンになったと思うし、彼女の背が高くなったので、その当時よりもきっと小さく見えてると思うんだけど、笑顔できちんと当時のままに話をしてくれて、それも嬉しかったです。
彼女は今大学生。将来の夢を持って、それに向かってがんばっているそうです。
もしかしたら数年後、今度は夢が叶って仕事をしている彼女とまた出会うかもしれません。それも楽しみです。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
卒業生が学校に来ることがありますよね。
春休み、中学が始まる前の1回くらいなら別に構わないんだけど、学校が始まってからも度々来る子を見ると、「大丈夫なのかな」と思ってしまいます。
先生方によっては、卒業生が自分を慕って顔を見せてくれることを喜ぶ人もいますけど、私は「小学校のことは卒業したら忘れて欲しい」と思っています。
小学校のことを忘れてしまうくらい、思い出す暇がないくらい、楽しく、充実した中学校生活を送って欲しい。無我夢中に過ごして、一息ついた時、(それは何年か後の夏休みだったり、中学や高校を卒業してからだったりするかもしれないけど)ふと思い出して、小学校を訪ねてくれればいい。
多分、その時、小学校の先生方はずいぶん異動して、自分がいた頃とは違う雰囲気になっていると思います。私もそこにはいなくていいです。そして、少し昔を振り返りながらも、「もう昔には戻れない」ということを分かってくれるといいなあと思います。
彼等にとって、小学校は、思い出多いとはいえ、人生の通過点にすぎないのですから。
かっこよすぎるかなあ。
===== コメント =====
■無題
みっぴさん、初めまして。
僕は、たまに母校に戻りたくなることがあります。(卒業して、すぐ、とかはないですが)
数年たったあとに、なにか戻りたくなる。どうしてなんだろう、っていつも思います。「懐かしさ」からなのか・・・。
自分もアメリカで先生をこれからやりますが、高校には教え子は戻ってきませんが、街でしょっちゅう声をかけられる。先生の立場になって、これほどうれしいものはありませんね。
ところで、僕もブログを作っています。もしよろしければ、リンクさせていただいてもよろしいですか?
よろしくお願いします。
高校教師@コロラド (2006-06-21 09:01:13)
■声をかけられるのは、嬉しいです。
外で声をかけられるというのは、自分と話をすることを厭わない、と表明してくれてるわけで、嬉しいですねー。その子がどの先生にでも声をかけるのかもしれないけど、それでも、そんな風に大人にきちんと話をすることができる子に育ってる、というのは嬉しいです。(でも、デート中は遠慮して欲しいです…(^^ゞ)
学校に戻るというのは、自分自身がその学校にいた時の感じをもう一度体感したいということだと思います。それが、「卒業する前の方が良かったから戻りたい」というのだと困りますけど、数年後に母校に戻りたくなるというのは、今の自分と比較したいんじゃないかなという気がします。「今の自分も、あのころに負けず充実してる」と再認識したいのではないかな。
リンク歓迎します。そちらにもまたお伺いしたいと思います。よろしくお願いしますね。(^O^)
みっぴ@管理人 (2006-06-22 23:18:34)
■ありがとうございます
リンクのほう、早速させていただきました。
もう夏休みまで1ヶ月きったのかな?
もう一踏ん張り、がんばってください。
これからもよろしくお願いします。
高校教師@コロラド (2006-06-27 05:13:46)
詳しく言うとわかってしまうので詳細は控えますが、何だか、「変わってないなー」と、嬉しかったです。
いつもにこにこと友達思いのいい子でしたが、そのまんま大きくなっていました。
「笑顔がいい」って、ただきれいなだけじゃなくて、まわりをHappyにする、すっごい得なことですよね。
私はきっと、すごくオバサンになったと思うし、彼女の背が高くなったので、その当時よりもきっと小さく見えてると思うんだけど、笑顔できちんと当時のままに話をしてくれて、それも嬉しかったです。
彼女は今大学生。将来の夢を持って、それに向かってがんばっているそうです。
もしかしたら数年後、今度は夢が叶って仕事をしている彼女とまた出会うかもしれません。それも楽しみです。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
卒業生が学校に来ることがありますよね。
春休み、中学が始まる前の1回くらいなら別に構わないんだけど、学校が始まってからも度々来る子を見ると、「大丈夫なのかな」と思ってしまいます。
先生方によっては、卒業生が自分を慕って顔を見せてくれることを喜ぶ人もいますけど、私は「小学校のことは卒業したら忘れて欲しい」と思っています。
小学校のことを忘れてしまうくらい、思い出す暇がないくらい、楽しく、充実した中学校生活を送って欲しい。無我夢中に過ごして、一息ついた時、(それは何年か後の夏休みだったり、中学や高校を卒業してからだったりするかもしれないけど)ふと思い出して、小学校を訪ねてくれればいい。
多分、その時、小学校の先生方はずいぶん異動して、自分がいた頃とは違う雰囲気になっていると思います。私もそこにはいなくていいです。そして、少し昔を振り返りながらも、「もう昔には戻れない」ということを分かってくれるといいなあと思います。
彼等にとって、小学校は、思い出多いとはいえ、人生の通過点にすぎないのですから。
かっこよすぎるかなあ。
===== コメント =====
■無題
みっぴさん、初めまして。
僕は、たまに母校に戻りたくなることがあります。(卒業して、すぐ、とかはないですが)
数年たったあとに、なにか戻りたくなる。どうしてなんだろう、っていつも思います。「懐かしさ」からなのか・・・。
自分もアメリカで先生をこれからやりますが、高校には教え子は戻ってきませんが、街でしょっちゅう声をかけられる。先生の立場になって、これほどうれしいものはありませんね。
ところで、僕もブログを作っています。もしよろしければ、リンクさせていただいてもよろしいですか?
よろしくお願いします。
高校教師@コロラド (2006-06-21 09:01:13)
■声をかけられるのは、嬉しいです。
外で声をかけられるというのは、自分と話をすることを厭わない、と表明してくれてるわけで、嬉しいですねー。その子がどの先生にでも声をかけるのかもしれないけど、それでも、そんな風に大人にきちんと話をすることができる子に育ってる、というのは嬉しいです。(でも、デート中は遠慮して欲しいです…(^^ゞ)
学校に戻るというのは、自分自身がその学校にいた時の感じをもう一度体感したいということだと思います。それが、「卒業する前の方が良かったから戻りたい」というのだと困りますけど、数年後に母校に戻りたくなるというのは、今の自分と比較したいんじゃないかなという気がします。「今の自分も、あのころに負けず充実してる」と再認識したいのではないかな。
リンク歓迎します。そちらにもまたお伺いしたいと思います。よろしくお願いしますね。(^O^)
みっぴ@管理人 (2006-06-22 23:18:34)
■ありがとうございます
リンクのほう、早速させていただきました。
もう夏休みまで1ヶ月きったのかな?
もう一踏ん張り、がんばってください。
これからもよろしくお願いします。
高校教師@コロラド (2006-06-27 05:13:46)
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昨年度末に「かわいそうな初任者さん。 」を書きましたが、今年度はその初任者の一人が近くの席になったので、この一年間で鍛えてさしあげようと思っています。
…といっても、ガミガミ叱るんじゃなくて、納得させて、自分から努力するように仕向けたいのよね。だから、こっちが先に「彼がどこでつまずきそうか」を予測して、先手を打つように心がけています。ただ、私は同じ学年でなくて専科なので、原則は学年の先生がフォローするのがいいよね。
だから、学年の先生が何か仕事してる時に「1組の先生が○○の書類を作ってるけど、先生もう作った?」とか、「2組の先生が教材を取りに教具室に行ってたから、一緒に行って、ついでに授業の進め方を聞いてくれば?」みたいに、学年の中で話をするように声をかけてます。
たまには、近くで、「あー!あの書類まだ書いてない!先生もう書いた?」と、締切よりだいぶ早めに話を持って行きます。「あ、僕もまだです」「じゃ、急ぎの仕事がなかったら今日中に終わらせて帰ろう!」とさせてもいいし、「もう書きましたよ」「うわ、早いねー!さすが!」とおだててもいいと思います。
私は彼の学級に授業に入るので、「先生のクラスの子、よく挨拶するね」とか、「先生のこの発問は子どもが食いついてきたね、良かったよ」とか、「あの掲示物、工夫してるね、どうやって作ったの」とか、できるだけいいところを伝えるようにしています。
直して欲しいところは、「ここやっておくよ」とか、「一緒に掃除しよう」とか、こちらが先に動くようにします。彼の行動で変えて欲しい場合は「こうするともっと良くなると思うよ」とか、「私はこうしたら良くなったけど、何か工夫してみたら」とか、こちらの意見を押しつけないように気を付けます。
一番気を付けないといけないのは、子どもの前では対等の教師同士であるということです。彼はとても礼儀正しいし、見た目もとても若いですから、もうそれだけで子どもからは「オバサンとお兄ちゃん」の関係で見えてしまいますよね。そこで私に少しでも指導的言動があれば、子どもは彼を担任として未熟であると思ってしまうかもしれません。それだけは絶対に避けなければなりませんね。よく保護者に「子どもの前で先生の悪口を言わないで」と言いますが、子どもが自分の担任を信頼するためには、私達教師も子ども達の前では彼に対等に接しなければならないのだと思います。
授業中に補足した方がいいと思われる場合は、できるだけ彼の指導をつなぐ形で入るように心がけています。明らかに違っている場合でも、「先生はうっかりまちがえただけなんだね」と子ども達が思うような声のかけ方を工夫しています。これがけっこう、子ども達同士であっても間違いを咎めない雰囲気を作るのに役立っているようです。
彼は、昨年度何であんなに怒鳴られていたのかと思うくらい、とってもいい学級作りができていますよ。それに、何だか昨年度よりも彼が笑顔でいるような気がします。それって、子どもや保護者にもいいですよねー。
まだまだ1学期ですけど、これからもがんばるぞー。(^-^)
===== コメント =====
■記事を読んでは考えさせられています。
こんにちは^^
以前も違う名前で数回コメントさせていただいていた者です。
私も今年度からの初任者(講師)で、周りの先生方にいろいろと聞いて教えていただいてはいるのですが・・・
単学級で、教員が少ない上に、先輩の先生方も20代後半の方が多いので、迷惑をかけそうであまりたくさんのことは聞けずにいます。
この記事を読んで、みっぴさんのような方がいてくれたら、どんなに救われるだろうなぁと、羨ましく思ってしまいました。
そうは言っても、子どもにとってみれば新人でもベテラン先生でも「担任」という立場は変わらないわけですから、弱音なんて吐いてないで、自分ができる最大限の努力をしていかなきゃですね!
みっぴさんの日記を読んでいろいろと勉強させていただいておりますので、今後も宜しくお願いいたします。
7 (2006-07-15 17:42:56)
■いらっしゃいませ。
7さん、こんにちは。7さんもブログをしていらっしゃるのでしょうか?ブログのURLは別に書かなくて構いませんが、できればここに来た時だけでもハンドルネームは固定していただけるとありがたいです。知らずに同じことを何度も書いてしまったりするかもしれませんし。よろしくお願いしますね。(^-^)
「迷惑をかけそうで…」とのことですが、ぜひまわりの先生にどんどん尋ねてくださいね。失礼な言い方になるかもしれませんが、尋ねないでやったことで、かえってまわりの先生方に迷惑をかける結果になってしまうことがあるかもしれません。若いうちは知らないことがあって当たり前ですが、年月を重ねるほど知らないことは恥ずかしいことになります。今のうち!と思ってがんばりましょう。
2年目くんは、今日は同学年の先生が初任の頃の話をしていたら「僕はその頃中学生でした」とか口を滑らせて、顰蹙を買っていましたよ。(^^ゞ
みっぴ@管理人 (2006-07-26 21:30:38)
…といっても、ガミガミ叱るんじゃなくて、納得させて、自分から努力するように仕向けたいのよね。だから、こっちが先に「彼がどこでつまずきそうか」を予測して、先手を打つように心がけています。ただ、私は同じ学年でなくて専科なので、原則は学年の先生がフォローするのがいいよね。
だから、学年の先生が何か仕事してる時に「1組の先生が○○の書類を作ってるけど、先生もう作った?」とか、「2組の先生が教材を取りに教具室に行ってたから、一緒に行って、ついでに授業の進め方を聞いてくれば?」みたいに、学年の中で話をするように声をかけてます。
たまには、近くで、「あー!あの書類まだ書いてない!先生もう書いた?」と、締切よりだいぶ早めに話を持って行きます。「あ、僕もまだです」「じゃ、急ぎの仕事がなかったら今日中に終わらせて帰ろう!」とさせてもいいし、「もう書きましたよ」「うわ、早いねー!さすが!」とおだててもいいと思います。
私は彼の学級に授業に入るので、「先生のクラスの子、よく挨拶するね」とか、「先生のこの発問は子どもが食いついてきたね、良かったよ」とか、「あの掲示物、工夫してるね、どうやって作ったの」とか、できるだけいいところを伝えるようにしています。
直して欲しいところは、「ここやっておくよ」とか、「一緒に掃除しよう」とか、こちらが先に動くようにします。彼の行動で変えて欲しい場合は「こうするともっと良くなると思うよ」とか、「私はこうしたら良くなったけど、何か工夫してみたら」とか、こちらの意見を押しつけないように気を付けます。
一番気を付けないといけないのは、子どもの前では対等の教師同士であるということです。彼はとても礼儀正しいし、見た目もとても若いですから、もうそれだけで子どもからは「オバサンとお兄ちゃん」の関係で見えてしまいますよね。そこで私に少しでも指導的言動があれば、子どもは彼を担任として未熟であると思ってしまうかもしれません。それだけは絶対に避けなければなりませんね。よく保護者に「子どもの前で先生の悪口を言わないで」と言いますが、子どもが自分の担任を信頼するためには、私達教師も子ども達の前では彼に対等に接しなければならないのだと思います。
授業中に補足した方がいいと思われる場合は、できるだけ彼の指導をつなぐ形で入るように心がけています。明らかに違っている場合でも、「先生はうっかりまちがえただけなんだね」と子ども達が思うような声のかけ方を工夫しています。これがけっこう、子ども達同士であっても間違いを咎めない雰囲気を作るのに役立っているようです。
彼は、昨年度何であんなに怒鳴られていたのかと思うくらい、とってもいい学級作りができていますよ。それに、何だか昨年度よりも彼が笑顔でいるような気がします。それって、子どもや保護者にもいいですよねー。
まだまだ1学期ですけど、これからもがんばるぞー。(^-^)
===== コメント =====
■記事を読んでは考えさせられています。
こんにちは^^
以前も違う名前で数回コメントさせていただいていた者です。
私も今年度からの初任者(講師)で、周りの先生方にいろいろと聞いて教えていただいてはいるのですが・・・
単学級で、教員が少ない上に、先輩の先生方も20代後半の方が多いので、迷惑をかけそうであまりたくさんのことは聞けずにいます。
この記事を読んで、みっぴさんのような方がいてくれたら、どんなに救われるだろうなぁと、羨ましく思ってしまいました。
そうは言っても、子どもにとってみれば新人でもベテラン先生でも「担任」という立場は変わらないわけですから、弱音なんて吐いてないで、自分ができる最大限の努力をしていかなきゃですね!
みっぴさんの日記を読んでいろいろと勉強させていただいておりますので、今後も宜しくお願いいたします。
7 (2006-07-15 17:42:56)
■いらっしゃいませ。
7さん、こんにちは。7さんもブログをしていらっしゃるのでしょうか?ブログのURLは別に書かなくて構いませんが、できればここに来た時だけでもハンドルネームは固定していただけるとありがたいです。知らずに同じことを何度も書いてしまったりするかもしれませんし。よろしくお願いしますね。(^-^)
「迷惑をかけそうで…」とのことですが、ぜひまわりの先生にどんどん尋ねてくださいね。失礼な言い方になるかもしれませんが、尋ねないでやったことで、かえってまわりの先生方に迷惑をかける結果になってしまうことがあるかもしれません。若いうちは知らないことがあって当たり前ですが、年月を重ねるほど知らないことは恥ずかしいことになります。今のうち!と思ってがんばりましょう。
2年目くんは、今日は同学年の先生が初任の頃の話をしていたら「僕はその頃中学生でした」とか口を滑らせて、顰蹙を買っていましたよ。(^^ゞ
みっぴ@管理人 (2006-07-26 21:30:38)
「学校講師の奮闘日記 」の、「今日の会議&授業 」
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…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
小学校と違って、高校生は一筋縄ではいかないだろうと思いますが、同じ「高校の社会科の先生」の書かれた、「私語とたたかうシナリオ授業 (杉山 雅 著)」という本をお薦めします。この中に書かれているようなひどい状況ではないと思いますが、社会の先生だということですから、教科書をさらっと読むだけでは見えてこない社会科の魅力を授業で伝えられるのではないかなと思いますよ。
一年生だったら現代社会かな?ワールドカップの選手達とつないで学習するなんていうのもいいかもしれませんね。この前、イランの選手が練習試合を約束していた相手からキャンセルされた…とか、そういうのもとっかかりになるんじゃないでしょうか。あ、もうやっていたらごめんなさいね。(^^ゞ
私は今年算数の授業メインでさせてもらっていますが、毎時間の授業を組み立てるのが楽しいです。「どうやったら子どもが楽しく活動してくれるかな」「どこで教科書を見せたら理解しやすいかな」「どんなエピソードを話したら、子どもが覚えていてくれるかな」とあれこれ考えて授業に臨みますが、うまく行かないこともあります。そんな時は「何で子ども達は授業にのってこなかったんだろう?」と考えるようにしています。授業にのらない子どもが悪いのではなく、のれない授業を組み立ててしまったのが悪いと考えるようにしているのです。
今、2年生は「長さ」の単元で、「定規で線を引く」練習を一生懸命しています。手先が不器用なのでとっても下手ですが、実は「誤差±1mm」で書かないといけないので、「無理だよ、できないよ」と涙を浮かべて放り投げそうになるのを、なだめたりすかしたり、ほめたり励ましたりしながらがんばらせています。怒鳴ってできるようになるなら楽かもしれませんが元々できないんだから無理ですし、怒鳴らないとしない子になる、ということも考えられますものね。
「どうやったら子どもが練習したくなるか」を考えて、ゲーム形式にしてみたり、プリントが完成すると絵が浮かび上がるようにしてみたり、列ごとに黒板で挑戦させたり、いろいろやってみています。やらない子を叱るのではなくて、やりたくなるように何か仕掛けをしてみたらどうでしょう?
あと、高校では「静かな授業」=「いい授業」が当たり前なのかもしれませんが、私は「静かな授業」=「いい授業」ではないと思います。子ども達が「聞く」以外の活動ができるような授業の工夫があっていいんじゃないでしょうか。教科書を読む、でも、黒板に書く、でもいいと思います。自分が高校の頃、先生が一方的に喋ってる時って、別のこと考えたりしてませんでした?(私は友達に手紙書いてました(^^ゞ)
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
そうそう、私が高校に入学してすぐ、びっくりしたのが、担任の先生が私達に敬語を使って話すことでした。その先生はご自分のことを「先生は」とは言わず、「私は」と言っていました。はじめのホームルームで、先生から次のようなことを言われました。
「あなた方は、自分からこの学校を選んで入学してきました。義務教育ではありませんから、あなた方が勉強しようとしまいと自由です。この学校のやり方が合わないと思ったら、やめていただいてかまいません。ですが、できれば、月謝を払っている分、いや、それ以上にがんばって勉強して、自分を成長させて欲しいと思っています」
一人前として扱ってもらっていることは嬉しかったけれど、自分の責任―――勉強しない、できないことをもう学校や先生のせいにはできない―――ということを重く感じたのを覚えています。
子ども達によっては、あと2年ほどで社会人として生きていかなければならない子もいると思います。その準備をしなければならない高校時代に、授業中遊んでいる子はまだ「子ども」から抜け切れていないんじゃないかな、それはまわりが(親や先生が)子ども扱いしてしまっているから、それでいいと思ってるんじゃないかなという気がしました。
どんな社会人に育てたいか、そのために学校では何を教えるか、そういう見通しを持っておくのも大事かなと思います。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
高校の内情がよくわからないのに、勝手なことを書いてしまいました。
「教師として」の心構えみたいなのは同じかな、と思ったので。どうでしょうか。(^-^)
===== コメント =====
■ありがとうございます
まさしくそのとおりだと思いました。最近、その気持ち忘れてましたね(><) んで、午後の授業にさっそく取り入れてみました。少しではありますが反応良かったです♪
詳しくはブログにあとで記入しますが本当にありがとうございます。 嬉しいですね。まだまだ未熟ですが生徒にしたら先生に変わりはないわけですし。
本も購入したいと思います。
学校講師の奮闘日記 (2006-06-13 18:50:49)
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…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
小学校と違って、高校生は一筋縄ではいかないだろうと思いますが、同じ「高校の社会科の先生」の書かれた、「私語とたたかうシナリオ授業 (杉山 雅 著)」という本をお薦めします。この中に書かれているようなひどい状況ではないと思いますが、社会の先生だということですから、教科書をさらっと読むだけでは見えてこない社会科の魅力を授業で伝えられるのではないかなと思いますよ。
一年生だったら現代社会かな?ワールドカップの選手達とつないで学習するなんていうのもいいかもしれませんね。この前、イランの選手が練習試合を約束していた相手からキャンセルされた…とか、そういうのもとっかかりになるんじゃないでしょうか。あ、もうやっていたらごめんなさいね。(^^ゞ
私は今年算数の授業メインでさせてもらっていますが、毎時間の授業を組み立てるのが楽しいです。「どうやったら子どもが楽しく活動してくれるかな」「どこで教科書を見せたら理解しやすいかな」「どんなエピソードを話したら、子どもが覚えていてくれるかな」とあれこれ考えて授業に臨みますが、うまく行かないこともあります。そんな時は「何で子ども達は授業にのってこなかったんだろう?」と考えるようにしています。授業にのらない子どもが悪いのではなく、のれない授業を組み立ててしまったのが悪いと考えるようにしているのです。
今、2年生は「長さ」の単元で、「定規で線を引く」練習を一生懸命しています。手先が不器用なのでとっても下手ですが、実は「誤差±1mm」で書かないといけないので、「無理だよ、できないよ」と涙を浮かべて放り投げそうになるのを、なだめたりすかしたり、ほめたり励ましたりしながらがんばらせています。怒鳴ってできるようになるなら楽かもしれませんが元々できないんだから無理ですし、怒鳴らないとしない子になる、ということも考えられますものね。
「どうやったら子どもが練習したくなるか」を考えて、ゲーム形式にしてみたり、プリントが完成すると絵が浮かび上がるようにしてみたり、列ごとに黒板で挑戦させたり、いろいろやってみています。やらない子を叱るのではなくて、やりたくなるように何か仕掛けをしてみたらどうでしょう?
あと、高校では「静かな授業」=「いい授業」が当たり前なのかもしれませんが、私は「静かな授業」=「いい授業」ではないと思います。子ども達が「聞く」以外の活動ができるような授業の工夫があっていいんじゃないでしょうか。教科書を読む、でも、黒板に書く、でもいいと思います。自分が高校の頃、先生が一方的に喋ってる時って、別のこと考えたりしてませんでした?(私は友達に手紙書いてました(^^ゞ)
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
そうそう、私が高校に入学してすぐ、びっくりしたのが、担任の先生が私達に敬語を使って話すことでした。その先生はご自分のことを「先生は」とは言わず、「私は」と言っていました。はじめのホームルームで、先生から次のようなことを言われました。
「あなた方は、自分からこの学校を選んで入学してきました。義務教育ではありませんから、あなた方が勉強しようとしまいと自由です。この学校のやり方が合わないと思ったら、やめていただいてかまいません。ですが、できれば、月謝を払っている分、いや、それ以上にがんばって勉強して、自分を成長させて欲しいと思っています」
一人前として扱ってもらっていることは嬉しかったけれど、自分の責任―――勉強しない、できないことをもう学校や先生のせいにはできない―――ということを重く感じたのを覚えています。
子ども達によっては、あと2年ほどで社会人として生きていかなければならない子もいると思います。その準備をしなければならない高校時代に、授業中遊んでいる子はまだ「子ども」から抜け切れていないんじゃないかな、それはまわりが(親や先生が)子ども扱いしてしまっているから、それでいいと思ってるんじゃないかなという気がしました。
どんな社会人に育てたいか、そのために学校では何を教えるか、そういう見通しを持っておくのも大事かなと思います。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
高校の内情がよくわからないのに、勝手なことを書いてしまいました。
「教師として」の心構えみたいなのは同じかな、と思ったので。どうでしょうか。(^-^)
===== コメント =====
■ありがとうございます
まさしくそのとおりだと思いました。最近、その気持ち忘れてましたね(><) んで、午後の授業にさっそく取り入れてみました。少しではありますが反応良かったです♪
詳しくはブログにあとで記入しますが本当にありがとうございます。 嬉しいですね。まだまだ未熟ですが生徒にしたら先生に変わりはないわけですし。
本も購入したいと思います。
学校講師の奮闘日記 (2006-06-13 18:50:49)
QRコード:二次元バーコードって奴ですね。
携帯電話のカメラで撮ったら、URLとかメールアドレスとかコピーできちゃうあの四角い模様。
みっぴはPHSだし、QRコードを読める端末じゃないんで、今までは無視してたんですけど、もしそれをパソコンで読み取ることができたら面白いだろうと思ったら、やっぱりありました。
http://www.psytec.co.jp/docomo.html
このソフトはQRコードを作るソフトなんですけど、パソコン画面にQRコードを出しておいて、「スクリーン画像読み取り」を押してからドラッグでQRコードの場所を指定してやると、瞬時に解読してくれます。
もちろん、自分でQRコードを作ることも可能。
こんなの作ってみました。
余計なことをいろいろ書いたら、細かくなってしまった。ヾ(@^▽^@)ノわはは
…あ、仕事が終わってない…。
携帯電話のカメラで撮ったら、URLとかメールアドレスとかコピーできちゃうあの四角い模様。
みっぴはPHSだし、QRコードを読める端末じゃないんで、今までは無視してたんですけど、もしそれをパソコンで読み取ることができたら面白いだろうと思ったら、やっぱりありました。
http://www.psytec.co.jp/docomo.html
このソフトはQRコードを作るソフトなんですけど、パソコン画面にQRコードを出しておいて、「スクリーン画像読み取り」を押してからドラッグでQRコードの場所を指定してやると、瞬時に解読してくれます。
もちろん、自分でQRコードを作ることも可能。
こんなの作ってみました。

余計なことをいろいろ書いたら、細かくなってしまった。ヾ(@^▽^@)ノわはは
…あ、仕事が終わってない…。
私の今の肩書き(というのか?)は「少人数指導担当教員」です。でもさー、話を聞くとどうも、校長先生も教育委員会も「習熟度別指導」をして欲しいみたいなんだよね。何でなのー??
私自身は、子ども達に基礎基本をしっかりつけるなら「TT」もしくは「等質グループ編成による少人数指導」が効果的だと思っているんだけど、何で他の先生方は「できる子とできない子を分けて、できない子に懇切丁寧に指導すれば学力が上がる」と思ってるのかなあ。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
「できない子」がなぜできなくなったのか。
「割り算ができないのは、かけ算九九を覚えてないから」とか、「この子は二桁の足し算の繰り上がりも怪しいから高学年ではついていけない」とか言ってるから、上のような妙な考え――その子だけ取り出してかけ算九九を覚えさせようとか、繰り上がりを練習させようとか――が生まれるんだろうね。
5年にもなって、なぜかけ算九九を覚えてないのか。二桁の足し算がなぜ正しくできないのか。問題はそこでしょ?
2年のかけ算やくり上がりのある足し算の単元は10時間以上あるんですよね。算数は大体週に4時間程度なので、およそ3週間ですよ。およそ3週間で他の子ができるようになってるのに、その間この子達は一体どうしてたから取り残されたのか、他の子と何が違ったのか、ってことでしょ。
今、低学年に入って、その違いがとてもよくわかります。こんな子は、学習から取り残されていきます。
◆物が揃っていない。
→ノートを忘れていれば、他のノートや紙を用意する時間が取られる。その間に他の子はどんどん進む。
→ノートが他の子と違えば、他の子は一行で書ける言葉が2行、3行になってしまう。黒板のレイアウトや他の子のノートのレイアウトともずれるので、いちいち場所を確認しなければならず、ノートを書くのに時間がかかる。
→教科書を忘れていて、他の子が教科書に書き込むような場面で、書き込めない。何もできないか、ノートに教科書の文まで写して書くので遅れるか、どちらか。
→鉛筆が削れていない。よく消えないキャラクター消しゴムを持ってくる。鉛筆を削ったり、消えない消しゴムで必死に消すのに時間がかかり、その間に他の子はどんどん進む。
◆整理整頓ができていない。
→鉛筆を筆箱に入れず、そのまま机の中に放り込んでいる。教科書・ノートを揃えて入れていないので、全部出して表紙を見るまで判別がつかない。余計な物まで机に入れているので、机の中がいっぱいで、置くに何があるか見ることができない。――結果、捜し物をしている間に他の子はどんどん進む。
→前の学習に使った物を片づけず、そのままで次の学習の準備をしようとする。当然、机の上は一杯になり、必要な物が机から落ちる。それを拾おうとして身をかがめると、机に置いてあったいろいろな物に体が当たり、また物が落ちる。拾っている間に、他の子はどんどん進む。
◆話を聞けていない。
→人の話を最後まで聞かずに動くので、何のためにそれをするのか、すんだらどうするのかわからず、周りの友達が終わった後にそれを見て何とか取り繕おうとする。まわりの子より確実に遅れる。
→物を触りながら話を聞いているので、話よりも物に興味がいって、話の内容が聞き取れない。他の子が活動を始めてから、自分が話の内容を理解していなかったことに気づき、他の子に訊ねたりして活動しようとする。まわりの子より確実に遅れる。
◆指示どおりに活動できない。
→話が聞けていないので、活動が遅れたり、できなかったりする。「一回読んだら座りましょう」と言われても、立つのが遅いので、みんなはもう座ろうとしているところ。仕方なく、立って教科書を持って、何もせずみんなが座った頃を見計らって座る。結果、「読む」活動ができていない。
→話が聞けていないので、間違ったことをしてしまう。そのまま○付けになって、自分が間違えたことに気づき、消しゴムで消して全部書き直す羽目になってしまう。その間に他の子はどんどん進む。
◆基本的な生活習慣が身に付いていない。
→筆箱の代わりに、ポーチみたいなペンケースを持ってくる。「赤鉛筆を出して」と言われた時、たくさんある鉛筆の群れの中から赤鉛筆を発掘するのに時間がかかる。見つけ出した時には、他の子はどんどん先に進んでいる。
→髪が目の前まで伸びている、上靴のかかとを踏んでいる、長い上着や、手が隠れるような袖のシャツを着ている。目の前の髪の毛を払ったり、音読で立つ時に上靴を履き直したり(たまにけつまづいている)、ノートを見せに行くのに上着が机の角に引っかかったり、ノートに書くのに袖を何度もたくし上げたり、そんなことをしている間に、他の子はどんどん先に進んでいる。
今思いつくだけあげてみましたけど、こういう事の積み重ねで、少しずつ、少しずつおくれをとっていってるわけでしょ?そうしたら、かけ算九九やくり上がりの足し算を教えただけでは根本的な解決にはならないって、わかりますよね。昔の遅れは取り戻せても、今の彼等は、また他の子からおくれていくんです。
だから、習熟度別指導には「そうじゃないでしょ」と思う。
遅れている彼等に身につけさせるべきことは、今後の授業の中で、どうやったらおくれずについて行くことができるか、という技術。そしてそれは、他の子にも当てはまる大事な「学習の構え」だと思う。
習熟度別指導はどう言ったって「できる子」「できない子」とランクわけしてる。どんな言葉を使っても、子ども達は感づいている。すすんで「できない子」のクラスに入ってくる子は、「自分がレッテルを貼られてもいい、わかるようになりたい」と思うから来るんであって、レッテルを気にしてないんじゃないです。覚悟して来るんです。先生方、「子ども達が楽しく取り組んでいる」なんて楽観視しないでください。
習熟度別指導でいくら説明したって、その学習(たし算ならたし算だけ)がわかるようになるだけで、クラスごとの授業に戻った時には、また「他の子よりおくれる」要素を持ったままなんだから、また少しずつ少しずつおくれをとっていく。そんなことの繰り返しでいいわけがないでしょ。
上であげたようなことが起きないように、T1の先生が授業を進めている間にT2の先生が見て回るとか、少人数グループにして目が行き届くようにするとかして、その兆候が見えた子をさっと指導していくといいと思います。特に低学年でしっかりやっていかないと、高学年でこんな事いわれるのはいやがる場合も出てきます。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
もし、おうちの方でここを読んでいる方がいらっしゃったら、「物を揃える」「整理整頓をする」は何とかおうちでがんばって欲しいです。
月曜の1時間目から、
・削ってない鉛筆で苦労してノートを書いてる子
・「前のノートが残ってるから」とマスの大きさの違うノートを持ってくる子
・可愛い飾りの付いた鉛筆を持ってきてチャラチャラと音をさせるので全然話を聞けていない子
・キャラクターの定規を持ってきたら、目盛りのついてない方がギザギザになってて線が引けない子
(「目盛りのついてる方は線を引くときには使わない」ことは教科書に載っています)
・流行の服を着てきて、リボンやフリルが字を書くのに邪魔になってる子
・「おばあちゃんが買ってくれた」と、大きな道具袋を持ってきて机の横に落としている子
…”この子達を勉強のできない子にしたいのかっ!”と思ってしまいます。
===== コメント =====
■コメントありがとうございました。
少人数と習熟度は確かに違います。私は習熟度別で授業を経験しましたが(小と中では違うでしょうが)、習熟度別は効果が高いです。そして、周囲が考えているほど、得意な生徒と苦手な生徒で、レッテルを貼られているという意識はありません。持っていきかた一つです。出来る、出来ないは語弊があります。私の所では、コースを標準と基礎の二つに分け、選ぶのは生徒です。点数は満点近くとれるのに、基礎を選ぶ子、あまり点はとれなくても好きだから標準を選ぶ子、人間関係や教員で選ぶ子、さまざまです。コースの途中変更も可能です。問題は方法です。これが、良い、悪いのではなく、どう活用したら子供たちに効果があるのか、それを考えて行くべきです。T、Tも単元や内容によっては有効です。しかし、最大の壁は家庭です。こればかりは学年が上がるにつれ対応がむずかしくなります。中学では教育を放棄している家庭(子供に何も言えない)が多く見られます。
天下無敵の問題教師 (2006-06-06 22:12:59)
■いらっしゃいませ。
中学のことはあまりよくわからないので、中学校の先生からのご意見はとても参考になります。コメントありがとうございます。
>コースを標準と基礎の二つに分け、選ぶのは生徒です。
そういう形態があることは理解していますし、子どもの抵抗も少なく、効果を上げている学校が多いことも承知しています。ただ、それを「習熟度別」と言っていいのか「習熟度別」と言えるのか――言えないんじゃないのかなーと思ったのです。
子どもが選ぶのだったら、「等質グループ編成によるコース別学習」と考えられるんじゃないでしょうか。いや、これを「習熟度別」と呼んでいいとうちの校長が言うなら、こっちとしてはありがたいんですけどね。…校長先生に「こんなふうにしたいんですけどいいですかー」と尋ねてみることにします。
(^^ゞ
今、学力テストの分析をしているところです。今は私がT1で授業しているので、もし習熟度別の学習をするとして、実際にグループを分けるのは2学期以降になりそうです。
みっぴ@管理人 (2006-06-07 23:54:00)
私自身は、子ども達に基礎基本をしっかりつけるなら「TT」もしくは「等質グループ編成による少人数指導」が効果的だと思っているんだけど、何で他の先生方は「できる子とできない子を分けて、できない子に懇切丁寧に指導すれば学力が上がる」と思ってるのかなあ。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
「できない子」がなぜできなくなったのか。
「割り算ができないのは、かけ算九九を覚えてないから」とか、「この子は二桁の足し算の繰り上がりも怪しいから高学年ではついていけない」とか言ってるから、上のような妙な考え――その子だけ取り出してかけ算九九を覚えさせようとか、繰り上がりを練習させようとか――が生まれるんだろうね。
5年にもなって、なぜかけ算九九を覚えてないのか。二桁の足し算がなぜ正しくできないのか。問題はそこでしょ?
2年のかけ算やくり上がりのある足し算の単元は10時間以上あるんですよね。算数は大体週に4時間程度なので、およそ3週間ですよ。およそ3週間で他の子ができるようになってるのに、その間この子達は一体どうしてたから取り残されたのか、他の子と何が違ったのか、ってことでしょ。
今、低学年に入って、その違いがとてもよくわかります。こんな子は、学習から取り残されていきます。
◆物が揃っていない。
→ノートを忘れていれば、他のノートや紙を用意する時間が取られる。その間に他の子はどんどん進む。
→ノートが他の子と違えば、他の子は一行で書ける言葉が2行、3行になってしまう。黒板のレイアウトや他の子のノートのレイアウトともずれるので、いちいち場所を確認しなければならず、ノートを書くのに時間がかかる。
→教科書を忘れていて、他の子が教科書に書き込むような場面で、書き込めない。何もできないか、ノートに教科書の文まで写して書くので遅れるか、どちらか。
→鉛筆が削れていない。よく消えないキャラクター消しゴムを持ってくる。鉛筆を削ったり、消えない消しゴムで必死に消すのに時間がかかり、その間に他の子はどんどん進む。
◆整理整頓ができていない。
→鉛筆を筆箱に入れず、そのまま机の中に放り込んでいる。教科書・ノートを揃えて入れていないので、全部出して表紙を見るまで判別がつかない。余計な物まで机に入れているので、机の中がいっぱいで、置くに何があるか見ることができない。――結果、捜し物をしている間に他の子はどんどん進む。
→前の学習に使った物を片づけず、そのままで次の学習の準備をしようとする。当然、机の上は一杯になり、必要な物が机から落ちる。それを拾おうとして身をかがめると、机に置いてあったいろいろな物に体が当たり、また物が落ちる。拾っている間に、他の子はどんどん進む。
◆話を聞けていない。
→人の話を最後まで聞かずに動くので、何のためにそれをするのか、すんだらどうするのかわからず、周りの友達が終わった後にそれを見て何とか取り繕おうとする。まわりの子より確実に遅れる。
→物を触りながら話を聞いているので、話よりも物に興味がいって、話の内容が聞き取れない。他の子が活動を始めてから、自分が話の内容を理解していなかったことに気づき、他の子に訊ねたりして活動しようとする。まわりの子より確実に遅れる。
◆指示どおりに活動できない。
→話が聞けていないので、活動が遅れたり、できなかったりする。「一回読んだら座りましょう」と言われても、立つのが遅いので、みんなはもう座ろうとしているところ。仕方なく、立って教科書を持って、何もせずみんなが座った頃を見計らって座る。結果、「読む」活動ができていない。
→話が聞けていないので、間違ったことをしてしまう。そのまま○付けになって、自分が間違えたことに気づき、消しゴムで消して全部書き直す羽目になってしまう。その間に他の子はどんどん進む。
◆基本的な生活習慣が身に付いていない。
→筆箱の代わりに、ポーチみたいなペンケースを持ってくる。「赤鉛筆を出して」と言われた時、たくさんある鉛筆の群れの中から赤鉛筆を発掘するのに時間がかかる。見つけ出した時には、他の子はどんどん先に進んでいる。
→髪が目の前まで伸びている、上靴のかかとを踏んでいる、長い上着や、手が隠れるような袖のシャツを着ている。目の前の髪の毛を払ったり、音読で立つ時に上靴を履き直したり(たまにけつまづいている)、ノートを見せに行くのに上着が机の角に引っかかったり、ノートに書くのに袖を何度もたくし上げたり、そんなことをしている間に、他の子はどんどん先に進んでいる。
今思いつくだけあげてみましたけど、こういう事の積み重ねで、少しずつ、少しずつおくれをとっていってるわけでしょ?そうしたら、かけ算九九やくり上がりの足し算を教えただけでは根本的な解決にはならないって、わかりますよね。昔の遅れは取り戻せても、今の彼等は、また他の子からおくれていくんです。
だから、習熟度別指導には「そうじゃないでしょ」と思う。
遅れている彼等に身につけさせるべきことは、今後の授業の中で、どうやったらおくれずについて行くことができるか、という技術。そしてそれは、他の子にも当てはまる大事な「学習の構え」だと思う。
習熟度別指導はどう言ったって「できる子」「できない子」とランクわけしてる。どんな言葉を使っても、子ども達は感づいている。すすんで「できない子」のクラスに入ってくる子は、「自分がレッテルを貼られてもいい、わかるようになりたい」と思うから来るんであって、レッテルを気にしてないんじゃないです。覚悟して来るんです。先生方、「子ども達が楽しく取り組んでいる」なんて楽観視しないでください。
習熟度別指導でいくら説明したって、その学習(たし算ならたし算だけ)がわかるようになるだけで、クラスごとの授業に戻った時には、また「他の子よりおくれる」要素を持ったままなんだから、また少しずつ少しずつおくれをとっていく。そんなことの繰り返しでいいわけがないでしょ。
上であげたようなことが起きないように、T1の先生が授業を進めている間にT2の先生が見て回るとか、少人数グループにして目が行き届くようにするとかして、その兆候が見えた子をさっと指導していくといいと思います。特に低学年でしっかりやっていかないと、高学年でこんな事いわれるのはいやがる場合も出てきます。
…‥‥・*・‥‥……‥‥・*・‥‥…‥‥・*・‥‥……
もし、おうちの方でここを読んでいる方がいらっしゃったら、「物を揃える」「整理整頓をする」は何とかおうちでがんばって欲しいです。
月曜の1時間目から、
・削ってない鉛筆で苦労してノートを書いてる子
・「前のノートが残ってるから」とマスの大きさの違うノートを持ってくる子
・可愛い飾りの付いた鉛筆を持ってきてチャラチャラと音をさせるので全然話を聞けていない子
・キャラクターの定規を持ってきたら、目盛りのついてない方がギザギザになってて線が引けない子
(「目盛りのついてる方は線を引くときには使わない」ことは教科書に載っています)
・流行の服を着てきて、リボンやフリルが字を書くのに邪魔になってる子
・「おばあちゃんが買ってくれた」と、大きな道具袋を持ってきて机の横に落としている子
…”この子達を勉強のできない子にしたいのかっ!”と思ってしまいます。
===== コメント =====
■コメントありがとうございました。
少人数と習熟度は確かに違います。私は習熟度別で授業を経験しましたが(小と中では違うでしょうが)、習熟度別は効果が高いです。そして、周囲が考えているほど、得意な生徒と苦手な生徒で、レッテルを貼られているという意識はありません。持っていきかた一つです。出来る、出来ないは語弊があります。私の所では、コースを標準と基礎の二つに分け、選ぶのは生徒です。点数は満点近くとれるのに、基礎を選ぶ子、あまり点はとれなくても好きだから標準を選ぶ子、人間関係や教員で選ぶ子、さまざまです。コースの途中変更も可能です。問題は方法です。これが、良い、悪いのではなく、どう活用したら子供たちに効果があるのか、それを考えて行くべきです。T、Tも単元や内容によっては有効です。しかし、最大の壁は家庭です。こればかりは学年が上がるにつれ対応がむずかしくなります。中学では教育を放棄している家庭(子供に何も言えない)が多く見られます。
天下無敵の問題教師 (2006-06-06 22:12:59)
■いらっしゃいませ。
中学のことはあまりよくわからないので、中学校の先生からのご意見はとても参考になります。コメントありがとうございます。
>コースを標準と基礎の二つに分け、選ぶのは生徒です。
そういう形態があることは理解していますし、子どもの抵抗も少なく、効果を上げている学校が多いことも承知しています。ただ、それを「習熟度別」と言っていいのか「習熟度別」と言えるのか――言えないんじゃないのかなーと思ったのです。
子どもが選ぶのだったら、「等質グループ編成によるコース別学習」と考えられるんじゃないでしょうか。いや、これを「習熟度別」と呼んでいいとうちの校長が言うなら、こっちとしてはありがたいんですけどね。…校長先生に「こんなふうにしたいんですけどいいですかー」と尋ねてみることにします。
(^^ゞ
今、学力テストの分析をしているところです。今は私がT1で授業しているので、もし習熟度別の学習をするとして、実際にグループを分けるのは2学期以降になりそうです。
みっぴ@管理人 (2006-06-07 23:54:00)
私とブログについて
小学校の教諭をしていましたが、2012年に退職しました。
定年じゃないですよっ!
ヾ(@°▽°@)ノ
今は、教育とは全く関わりのない生活を送っています。
ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。
大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
応援しています。
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ここに書かれている教員生活は過去のことですが、 今、先生として頑張っていらっしゃる方々の 何かしらのヒントになればと思って、 そのまま置いておくことにしました。
大変な毎日だと思いますが、まずは自分自身を大切に、 自分のできる範囲で頑張って下さいね!
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